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OBからのメッセージ

 

成蹊大学のウェブサイトに私のメッセージを載せていただくことになり、光栄に思います。
私は、入学してから博士号を取るまでの九年間、成蹊大学で教育を受けました。成蹊大学で過ごした九年間は、私の人生の基礎を形作るのに大いに役立ちました。ここでは、成蹊大学での教育のすばらしさを皆さんにお話ししたいと思います。

1980年に、江守教授のご指導のもと成蹊大学で博士号を取ったすぐ後、私は、F.A. Williams教授(燃焼理論の分野の世界的な権威)のもとで燃焼の研究をするために、カリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)にやって来ました。当時の私は、燃焼理論について詳しくありませんでしたし、Williams先生のこともよく知りませんでした。私がUCSDに着いて半年もしないころ、Williams先生がプリンストン大学でGoddard Chair Professorという役職に就くことになり、私もプリンストン大学に移るように誘われました。誘ってもらったことは嬉しかったのですが、新しい環境でやっていけるのか、そして、先生のために研究で役に立てるのか、自信が持てませんでした。そのころの私は、一週間で十本以上の論文を読まなければならなかったにもかかわらず、簡単な燃焼に関する学術論文を理解するのに数日はかかっていました。要するに、自分の研究者としての資質に自信がなかったのです。
このように色々な心配はありましたが、プリンストン大学に移ってからは、幸いにも全てなんとかなりました。例えば、私は、Williams先生の大学院生向けの燃焼理論の授業を三回受講しました。最初に受講した時は、内容の10パーセントも理解できませんでした。二度目のときは、おそらく30パーセント程度、三度目には60パーセント理解できるようになりました。先生は、根気よく教えてくださいました。そして、簡単な燃焼の実験を始めるようにアドバイスしてくださいました。私は、文字通り、昼夜を問わず週末も休まず研究に没頭しました。このときの私を支えていたのは、成蹊魂、そして江守先生のエンジニアリング魂でした。熱心さと誠実さが買われたのでしょうか、私は三年後に、正規の研究員に昇進しました。そしてほぼ同時期に米国立標準技術研究所(NIST)から誘われて、同研究所の世界的に有名な火災研究センターで、客員研究員として乱流火炎の上方燃え拡がりを研究することになりました。この研究テーマは、興味深いのですが、大変難しいものでした。私は、Williams先生そしてQuintiere先生(NISTでの火災研究の第一人者)と一緒に研究をしました。私の役割は、それまでは誰にもできなかった、正確な燃え拡がり速度の測定だったのですが、なんとか成功することができました。
懸命に研究したかいがあって、1985年に、Williams、Quintiere両先生と連名で研究結果を論文として発表することができました。それ以来、この論文は、同じ分野の研究者からもっとも多く引用される論文となりました。このときの経験は、私に、成蹊教育の創始者である中村春二先生の教育理念を表す言葉「桃李不言下自成蹊」を思い起こさせます。つまり、「桃や李(すもも)はものを言うわけではないが、美しい花やおいしい実が自然と人々を引き付け、そこに小道ができる。」ということです。私の研究がうまくいった理由と成蹊大学の教育理念には、共通するものがあるように思えます。
アメリカで研究を始めてから六年がたった1986年、そろそろ自分自身の研究を始める時ではないかと感じるようになりました。そこで、アメリカの大学教員のポジションに何度も応募しました。燃焼の分野で有名な研究者の方々の応援もあって、ケンタッキー大学の助教授になることができました。このときの競争倍率は300倍以上だったものですから、私がポジションを勝ち取ったのは、ほとんど奇跡だったのです。このときも、私を世界のトップクラスの研究者の方々と出会わせてくれた、成蹊教育理念の力を感じました。

成蹊教育の創始者、中村春二先生の教育理念を学びましょう。そして、そこから得たものを普段の行動に生かしましょう。これが、私から学生の皆さんへのメッセージです。

斉藤 孝三(サイトウ コウゾウ)
1950年7月11日 東京生まれ
1975年 成蹊大学工学部機械工学科卒業
1977年 同修士課程修了
1980年 同博士課程修了
1980年 カリフォルニア大学サンディエゴ校 研究生
1981年 プリンストン大学機械航空工学科 研究員
1986年 ケンタッキー大学機械工学科 助教授
1993年 同教授
2001年 テネシーバレーオーソリティー教授(TVA Professor)、塗装研究技術開発グループ(Painting Technology Consortium)ディレクター、米国機械工学会フェロー

It is an honor to be asked to write a message to the Seikei's website section.
I received total of over 9 year's education at Seikei, from my undergraduate through doctoral degree. Seikei education helped me to shape the foundation of my life. Here I am happy to share the values of Seikei Education with you.
In 1980, right after receiving doctoral degree from Seikei under Professor Emori's advice, I came to the University of California San Diego to study combustion research under Professor F.A. Williams, a world leading authority in combustion theory. At that time, I have very little knowledge on combustion theory, nor about F.A. Williams. With less than 6 months after I arrived at UCSD, Dr. Williams accepted Goddard Chair Professorship at Princeton University, moved his office to Princeton, and asked me to transfer to Princeton. I was delighted to follow Prof. Williams, but I was not sure I can survive there and can do any useful combustion research for him. It took me a few days to understand a simple combustion Journal article, despite the fact that I need to read and digest more than a dozen articles per week. I had a serious doubt in capability in research.
After I moved to Princeton, fortunately, all went well despite my earlier concerns and worries. I took Dr. Williams's graduate course: Combustion Theory, 3 times. First time I understood 10% of the content; second time may be 30% and the third time 60%. Dr. Williams had enough patience to educate me and encouraged me to conduct a simple experimental combustion research. I worked literally day and night for 7 days a week. It was Seikei spirit and Dr. Emori's engineering spirit that helped me to go through my days at Princeton. Hard work and honesty paid off. After 3 years, I was promoted to Professional Research Staff and about the same time, National Institute of Standards and Technology (NIST) invited me as a guest research to conduct upward turbulent flame spread study at NIST's world renowned Center for Fire Research. The topic was interesting but difficult. I closely worked with both Prof. Williams and Dr. Quintiere (a leading fire research scientist at NIST). My role was to obtain a series of accurate flame spread data which did not exist at that time. Luckily I succeeded.
My hard work paid off. In 1985, I published the upward turbulent flame spread study with Williams and Quintiere. Since then, this paper has been most frequently referenced  by researchers in this field. I recalled Seiji Nakamura's message on Seikei Education: Peach and plum do not speak themselves, but attract people to the fruit trees creating a flow of people that makes a small path toward those trees. I saw a strong similarity between the success in my research and the principle of Seikei education.
In 1986, six years after I started my research career in the US, I felt that it was the time to start my own research program. I applied faculty position at many US Universities. With the help from several top combustion researchers in this field, University of Kentucky made me an offer for Associate Professor (the total applicants was over 300). It was almost a miracle to get that job! Behind this success, I felt again the power of Seikei Education that connected me to these world renowned researchers.
My message to Seikei students: Visit Seiji Nakarura's educational principles, learn from them, and apply them to your everyday life.

Kozo Saito
Born July 11, 1950 in Tokyo
BS (1975), MS (1977), Dr. Engg. (1980), all from Seikei University
1980-81, Univ. of Calif. San Diego, Postdoctoral
1981-86, Research Staff Member in Mechanical and Aerospace Engineering, Princeton University
1986-93, Associate Professor in Mechanical Engineering, University of Kentucky
1993-2000, Professor, University of Kentucky
2001-present, Tennessee Valley Authority Endowed Professor and Director of Painting Technology Consortium. Fellow, American Society of Mechanical Engineers.

機械工学科の皆さん、こんにちは。橋本教授と同期、5期生の増田と申します。

先日、桜まつりの日に合わせて高校の同窓生で集まろうという企画の案内を頂き、久し振りにキャンパスを訪問し高校やグラウンドの桜を堪能させて頂きました。
桜を見ながら古木は夫々に大きく立派で沢山の花を咲かせていますが、若い苗木の勢いには別の意味で魅力的なものを感じると同時に、機械科実験棟の前では一本で赤と白の花が同時に開花しているユニークな木を見つけ暫く立ち止まって見入ってしまいました。
若い人には無限の可能性と人とは一味違うユニーク性を強味に出来る可能性があるのだと感じ、学生時代のことを思い出しておりました。

子供の頃から自動車が好きで就職は自動車会社と決めておりましたので、日産に決まった時は大変に喜んだことを思い出します。工学部からは私が初めてでしたので後輩が居たら良いなと思い、ある時人事に頼んで成蹊大学を指定校にして貰いました。黒田先生、橋本先生他工学部の先生には大変にお世話になり、今では後輩も20名を超えるほどになったことを感謝しております。成蹊の仲間と会っている時が気が休まるのでたまに飲み会をやっております。
入社時、生産技術を希望したのですが叶わず、設計に配属になりました。シャシ設計を担当しその後組合の常任や、英国に4年駐在、TQM、CAD・CAM・CAEの責任者を担当し、現在は日産リバイバルプランの中で中心的な役割を果たして来た購入部品のテクニカルコスト削減のグローバル実行責任者としてこの3年半の間推進役をやっております。
コスト削減活動は設計時代、英国時代に成果を上げた実績があったので、瀕死の状況であった日産にGhosn氏がCOEとしてやって来た時、この人に賭けて本気で日産を復興させようと自分を奮い立たせたことを昨日のことの様に思い出します。お蔭様でV字回復を果たした日産と評価を頂いておりますが、私自身は満足をしておりません。先日も社長のGhosnにこの先数年間のコスト削減業務の提案、議論をしたところです。
話は変わりますが、今「本気」という言葉が大変に気に入っております。長野オリンピックの時に禅寺でこの言葉に出会いました。そこには「本気ですれば大抵のことができる。本気ですれば何でもおもしろい。本気でしていると誰かが助けてくれる。」とありました。振り返って見ると学生時代から何事も集中、本気でやって来た、これが私のスタイルなのかなと思います。
最近いろいろな所で「日本は中国やアセアンに仕事を取られてしまうのではないか」ということを心配する向きがありますが、日本にしか出来ない技術、更に新しい技術を生み出す力が日本の製造業にはまだまだあります。自動車は今や日本とドイツの競争でありますが、日本が「本気」で製造業の力が発揮でき継続できれば明るい未来が十分にあると考えます。

桜の若木の様に無限の可能性を秘めている皆さんが、時間的に余裕のある学生時代に基礎を確りと身に付けて置くことが、今後の人生で挑戦する機会に出会った時、そこで学び経験したことが潜在能力として引き出され大きな成果に繋がることと思います。何でも構わないと思いますが、自分の強み、自信が持てる、他人より勝てるということを最低一つ持つことをお勧めして、OBからのメッセージとします。
(2003年4月)


略歴 増田 譲二(マスダ ジョウジ)
1948年2月12日生まれ
1963年4月 成蹊高校
1966年4月 成蹊大学工学部機械工学科
1970年4月 日産自動車(株)第六車両設計課でシャシ設計を始める
1985年2月 車体設計部主担
1991年1月 Nissan European Technology Centre 社 車両設計部門 Director
1995年1月 TQM推進本部 主管
1997年7月 技術システム部 部長
1999年12月 車両3-3-3推進室 室長、CFT(Cross Functional Team)Pilot としてRepot to Ghosn-CEO
2003年4月 VP(Vice President)兼コストエンジニアリング本部 本部長

皆さん、こんにちは。

桜が満開の成蹊のキャンバス、ある人は就職のこと、あ る人は新しい学生生活に、皆さんそれぞれの想いを持ち、この4月を迎えられたことと思います。

私も40年近く前、工学部の第一期生として成蹊の門を くぐりました。

卒業後は自動車製造業に入り、以来、実験、研究、設計 などの業務、マーケッティングを含めた新しい商品の開発業務を経験し、今は製造全般を担当しております。

この間、自動車産業は日本における本格的なモータリ ゼーションの始まりから、オイルショック、排ガスなどの環境問題、国際的な貿易摩擦、それに伴う現地生産化 の伸長と国内産業の空洞化危機論など多くの試練を経 て、世界一とも言える技術、産業競争力を備えるに至り、また21世紀を迎え新たな地球規模での経済、環境 を見据えた諸テーマに直面ししております。
ここで私は、日本におけるモノ作りの大切さを、皆さん に再認識していただきたいと思っています。自動車産業一つをとっても、大きな変革を幾たびもなく経て、その都度その調和のとれた解決に取り組んで来ました。世の中、第3次産業、ソフト産業の時代と言われて久しいですが、ハードウエアとのバランスがとれて総合的な生活 の向上、経済の発展が期待されることになります。自動車は皆さんも身近なモノとして接しておられますが、いまやコンピューターで走ると言われるほどの電子化、金属、樹脂などの新材料、新加工方法といった高度なハー ド技術を駆使する一方、開発・生産・調達・販売・サービスの手法ならびにこれらを総合的にマネージメントす るソフト技術など、その国の総合的な産業力の結集した結果とも言え、自動車産業が先進国で強い競争力を持っ ている背景でもあります。

もう一つ、皆さんには学生生活の中で折に触れ、将来の 世界、日本のイメージ、生活のイメージ、自らが携わるであろう様々な仕事の分野について展望していただけれ ばと期待します。毎日の生活から3年先、5年先と徐々に先を見ようとしても、所詮、現状の延長線上としてし か見えず、結局「何も変わらぬ」と言ったあきらめに近い感覚となってしまいます。そこで10年後、20年後 のイメージを思い浮かべて見ましょう。たぶんに無責任に思えても将来の夢として描いて見ましょう。そしてそ のイメージが実現するためには、その10年前あるいは5年前には「何が実現していないといけないか」が判っ てくるはずです。そしてさらに「今、自分は何をすべきか」がより鮮明になってくると思います。

学生生活はいろいろ誘惑(?)もあり多忙のように見え ますが、真の社会人となると本当に学生時代の「時間」がいかに貴重であったかを痛感するものです。時間はお 金では買えません。この貴重な時間を有意義に過ごして頂くことを祈念します。
(2002年3月)

谷 正紀(タニ マサノリ)
1942年10月29日 生まれ
○学歴
1966年3月 成蹊大学工学部機械工学科卒業
1970年6月 カリフォルニア大学修士課程 修了
1980年3月 成蹊大学工学博士取得
○職歴
1966年4月 三菱重工業(株)入社
1970年4月 三菱自動車工業(株)分社に伴い同社に転籍
〜 研究/実験/設計/商品開発を歴任〜
2001年6月 三菱自動車工業(株)代表取締役副社長 乗用車生産統括本部長 就任
2003年6月 成蹊中学・高等学校 校長に就任

 

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